ドガ


横浜美術館ドガ展。作品数も多く見ごたえ充分の展覧会だが、しかしこの画家の残したおびただしい数のデッサンやタブローのほんの一部、この作家の仕事のわずかな部分しか、ここにはないはず。当たり前だが。しかしそれらを観るというのは生易しい事ではない。観るなら本気を出さなければいけない。その作家と共に生きるような気持ちで、その作家の傍らで作品を見せてもらうように。でも、それでもその作家の仕事の全容なんてものは、いくら頑張ってもわからない。たぶんかりに何日もかけて、その作家の全作品を観たとしてもわからない。なぜならその作家の作品を観ながらも、自分の人生もとどまる事無くひきつづき進行中だからだ。作品の作り手も観ている方も共に流される一方で、安定した場所で自分や他人を眺めることのできる機会など、生涯のうち遂に一度たりとも訪れない。出会いは常に起こり、色々なかたちになって、後から後からあらわれては、次々と消滅していく。


それにしても、デッサンとかクロッキーってなぜ、その行為をするのか?しかも何枚も何枚も、百枚とか二百枚とか、ひたすら描いて描いて、たまに、おー!と思えるのが出来て、それを後から気づく。あぁこの感じを探してた。というか、いや探すべきはここだと、いきなり振り出しに戻る。いずれにせよ、とにかく描いて描いて描きまくる。ドガの中期以降のドローイングを見るのは、ほとんど息苦しいような感じ。対象に酔うこともなければ描く事の快感も年月の積み重ねに洗われて擦り切れてもはやなめし皮のように光っているだけ。ただひたすら、まさぐり鷲づかみして突き放してまた掴みかかる事の飽くことなきくり返しで、もがき苦しみ泥沼を這いずり回っているような感じ。20世紀以降の彫刻家の仕事。何かをえぐり出すときの抵抗感のような、なけなしの手ごたえだけが手がかりのすべて。実際、デッサンとかクロッキーってどれのことをいうのか?あの一枚一枚がそうなのか?それともその向こう側の何かだろうか?(何かがあるのだとすれば)


そもそも「踊り子」に手を出した時点で、もう後戻り不可能だった。新古典主義的な構造の枠内で構築し続ける事で垣間見える未来の困難を、踊り子のフォルムとムーヴマンを追う事で内側から溶解させたいと思った。色彩ももう、黒を使う事に抵抗を感じはじめてね。フォルムもそうだ。タッチもそうだな。昔からモネの仕事を悪くないと思ってますよ。踊り子は、フロアで群集がそれぞれ勝手に動き回っていて、それぞれが視界の中で騒々しく揺れ動いている、その捉え方の手ごたえを何度も確かめて、これなら同じ主題で何度でも何度でもやり直せそうな強靭なモティーフになりうると思って、久々に気分が明るくなった。別に踊り子じゃなくても雌鶏の群れとかでも良かったかもしれないが、まあ動きは人間の方が面白いだろう。


ドガは金持ちの息子で30才過ぎまで親の援助でイタリアに三年も留学し、帰国後もずっと制作だけの生活をしていた。親の死後は負債返済のため売るための絵を描いたりもしたが、既にある程度名声も確立していたので経済的にはそれほど困窮しなかったようだ。資本主義的なものに自分の時間を割かれなかったし、資本主義的な価値観にも囚われなかった。それは労働から免責された、ということ以上に、自分の取り組みを何らかの「成果」に落とし込んで計上させられる義務から免責されたということだ。自分の行為を「パフォーマンス」として評価対象のかたちに準拠させなくても良かった。いや、準拠させないでやり過ごすことの不安や恐怖から自由だった。(でもさすがに、完全に自由ではなかっただろうが。)


しかしドガって、どうして初期の新古典主義的な時代にいきなり華々しくデビューできなかったのだろうか?技術的には相当なものだったろうから、そこでもうちょっと上手くやれば、ちゃんとサロン的世界の中で生きていけた人なのだろうけど、でもそうはならなかった。…とはいえ、結局サロンで成功しようが失敗しようが、ドガドガでしかなかっただろうし、結局は同じことだったろう。ドガは、頑固で気難しく、他人ともあまり打ち解けない孤独な人であった。


でも喧騒は嫌いじゃない。実は寂しがりやなんです。意外と、多様に、節操なさ過ぎなくらい色々なことにチャレンジする画家である。人から影響も受けやすい。そして、終結させない。やったらやりっぱなしである。というか、いつまでも手を入れ続けていたいタイプである。すごく色々なことを考えて、考えすぎなところがあります。でも作品はたぶん意図したところとは違う方に行ってしまいがちである。というか、自分にもよくわからないような絵を描いてしまう。でもそれがまた面白いと自分で思っている。


世間をあっと驚かせたり、インパクトで圧倒させたりするのは、実のところわりと嫌いじゃない。センセーションとかスキャンダルとか、にぎやかでいいじゃないですか。世間をわいわい言わせるのは、まあ楽しいことだ。いつも孤独なんだから、たまには騒がしいのも悪くないだろう。


しかしドガはやはり、新古典主義な人で、真の意味で新古典主義批判の人なのだと思う。そういうところが、僕なんかはドガのとても好きなところである。恥ずかしい話だが「浴女」の背中から肩にかけてあたる柔らかな麻の光を見ると、感傷があふれてくる。この光は何の手がかりもなくひたすらもがき苦しみながら20世紀を迎えようとしている画家が見た、ほんの一瞬、恩寵のように降り注いだ朝の光なのだと。もうすでに壊滅的なまでに混沌とした仕事の積層の向こうに、決して明るくはない来世紀の光が差し込んでくる。


ちなみに本文はすべて僕が想像した事で史実ではありません。