空しさ

その違和感は、自分に起因するのか、自分以外に起因するのか、どちらが変わったのかわからないみたいなことは、いまだに、たまにある。自分で自分が空しくなるとしたら、それは何かつまらないことに夢中だったかつての自分を思い出したからかもしれないが、でもつまらないことは、じつはつまらなくない、かつての自分が面白かったのに、今の自分がつまらない、それだけのことかもしれない。自分の内側から、ある執着が消えていくと感じたとき、それは考え方の変わったあとの自分をイメージさせ、考え方が変わった自分を自覚するのは、少し遠目から自分を客観視できていることの気持ちよさがなきにしもあらずで、でもそんなのはみんな錯覚じゃないだろうか。考えかたが変わったなんて、恥ずべきことだと思ったっていい。それともやはり、どんなときにでもかすかな空しさが、つねに何パーセントばかりかは含みながら、飽きもせず堂々巡りにうろつき回っているくらいを、むしろ最適なコンディションに思うべきだろうか。