60

アンディ・ウォーホル、パット・ハケット「ポッピズム」は本が分厚くて外出時は持ち歩けないので、週末に自宅で少しずつ読み進めている。60年代初頭からウォーホルとつるんでいたディのエピソード

ぼくはディに、その五万ドルをどこで都合つけてきたのか、と聞いてみた---そういう話が僕には「おいしい(傍点)」のだ。そうしたら彼は、スタンダード・オイルとプラット・インスティテュート・プラッツの、あのエリオット・プラッツからだ、と言った。「エリオット・プラットはマッカーシーが大嫌いの左翼リベラルなんだよ」とディが説明してくれた。「この作品がいくらかかるか見当つかない、とぼくがいったら、彼が、一〇万ドルの小切手を書く、それでとりあえず間に合うか、というんだな。われわれのハンバーガー代は四ドルでエリオットはウェイターに1〇セントのチップを置いてきたよ。それから彼の家に行って金の問題を片付けたのさ。」金持ちというのはじつに不思議なお金の使い方をするものだ。

金持ちはすごいな、みたいなことでもあるけど、それだけではない。

よくわからないけど、こういうことは、金持ちと、美術好きと、美術作家が、お互いに同士の感覚をもっていなければ、成り立たないことではないかと思う。まあ、ここでは金を出す側は、やや軽く見られているけど。それはこのときはそうだということ。大きくはそうじゃない(知らんけど)。というか、そうじゃなければ、単にすべて消えるだけ。

金持ちは金や事業のことばかり考えていて、美術好きは自分の好きな美術のことばかり考えていて、美術作家は自分の作品のことばかり考えていたら、これは無理ではないかと思う。もちろん、個々は個々で大事にすべきことがある。それは当然だ。しかし同時に、個々は個々の力だけ物事が成り立たないことも肌でわかっている。だからお互いに協力する。

肝心なのは、金を出す側が偉くて金をもらう側が出す側に仕えているわけではない、ということだ。いや、契約というか、ルールはあるだろうけど、それはたぶん雇う-雇われるの関係とは違う。それこそ「映像研に手を出すな」の3人の高校生みたいな役割分担で、お互いにぼんやりとでも同じ目的を見据えてないとダメだ。だから、いくら金持ちが出資すると言っても、作家はその人間が美術に出資するに値するだけの何かを持っているか?を、どこかで厳しく判定するだろうし、美術好きも審美眼こそを自分の武器であり大きな目的に役立てたい道具として日々鍛えるだろう。

金がほしいやつと手柄や名誉がほしいやつと楽しみがほしいやつが物々交換をしたい場だったら、それは面白いことにはならなくて、それぞれが同じ未来を見て、その可能性に勘づいてること。つまりたぶんここがこの世で一番面白い、というかここにしか無い。つまりこれこそが本物(将来の本物)と、そこにいる誰もが思っていて、そのことに興奮しているし緊張している。この出来かけの未来を、皆で何とか生かしたいと感じている。希望にもとづいた楽観性が後から後から湧き出てくる状態。「なんとかの季節」とか呼ばれる時期に特有の、その場にいる人々のテンション。それが可能になってしまう場の熱さ、60年代のニューヨークがまさにそうだったということなのだろう。

しかし、当時のニューヨークアートシーンに漲っていた面白さを、それらの人々が服用または注射したアンフェタミンが支えていたというのも、また一方の事実ではあるのだろう。二日も三日も寝ないで大騒ぎして、そのテンションのまま制作して、それでまた遊びに行く。若い頃であればこんなに楽しい暮らしは無いはず。ほとんどこの面白さのために生きてるみたいな状況のはずだ。そうか覚せい剤って、やはり若者のための薬物なんだろうな。たとえば仮にいま僕がそれをやったとして、何の面白味もなければ有効性もない…。
しかしいくら若かろうがガッツリとキメてようが、人間いつかは力尽きる。バタッと倒れて、死んだよう眠るときもある。ウォーホルの映画「Sleep」(1964)は眠っている友人の姿を五時間以上映し出しているだけの作品だが、それは当時の、そんな喧噪と享楽の只中に作られたものだったのだ。それを思うと、なかなか感慨深いものがある気もする。ウォーホルらしいというか、ウォーホルのクールネスの中には、けっこう若者的な要素(向こう見ずな勢いと、唐突な諦め、あるいは非持続性というのか、気まぐれというのか…ある種のロックバンドの刹那性というのか、なにしろ未定着の、気分的なもの…)が、色濃く感じられる気がするのも、そんな若者時代の気分の反映なのか(ちなみに1928年生なので、60年代のウォーホルは三十代だ)。