配信ライブ

今年はじつにたくさんのネット配信ライブを購入・鑑賞していて、正直これまで幾つ購入して幾つ観たのか、今となってはまるでおぼえてないほどだ。まあ、自分が観たくて観たものだけではなく、妻のリクエストに応えて購入し一緒に観ていたものも多かったというのもある。ライブ配信というのはしかし、なかなかオトク感のあるプログラムが準備されることも多く、最初は大抵かなり期待高まる感じで、いそいそと購入して鑑賞準備をするのだが、蓋を開けてみれば面白いものもそうでないものもあって、やはりやりようで色々だな…という印象で、但しこれまで見続けてきて、さすがにやや飽きてきた感は否めないとは思う。とはいえ出来れば、なるべくシンプルに、あまり余計なギミックを加えず、そのパフォーマンスがニュートラルに音と映像として伝わってくるのが、いちばん良い気はする。それ以上でもそれ以下でもないものだけを、手堅く期待する感じになりがちだ。

その意味で先週あたりから観ている以下二つの配信は、個人的には見応えがあって楽しんだ。一つは小西遼ソロプロジェクト「象眠舎」のスタジオライブで、もう一つはKAKULULU 6.5周年オンラインフェスである。後者については十組ににもおよぶ演者すべてを真剣に観てたわけではないが、一日中演奏が続くフェスならではの時間をテレビモニター前で過ごすことができるというのは良かった。聴き始めたらことのほか良くて最後まで聴いてしまうみたいなフェス的な経験が良かった。

象眠舎の、ギター、ベース、ドラム、ピアノ、キーボードに、管楽器と弦楽器のパート、ゲストボーカルの面々で構成された、ぜいたくで緻密で繊細なアンサンブルの楽曲たち。音質も良く、黙って音のひとつひとつを聴き入るばかりの時間。職人的な技術をもったミュージシャンたちのまさに職人技としての音楽という感じだった。歌の素朴な力強さが前面に押し出されている感じだ。キレイに磨きこまれた工芸品的なソウルフィーリングの魅力。

KAKULULUで個人的にいちばん盛り上がったのは大友良英×加藤一平のデュオによるフリー・インプロヴィゼーションで、三、四十分くらいの演奏時間中、とても心地よいテンションでテレビモニタ前に食いついて聴き入ってしまった。大友良英のギターは常にそうだが、まずあの箱鳴りの音がすばらしいというか、粘っこくて温かみのあるトーンのギターが唸り、反響し、時折悲鳴を上げるそれぞれの瞬間がひたすら気持ちいい。加藤一平も若手らしい瞬発力とエフェクトを駆使した多様な音のバリエーションで、その活気と瑞々しさがずっと枯れずに継続する。インプロにありがちな手癖感やナアナア感から遠く離れて、二人が互いの音を注意深く聴き、今この時間をできるだけ有機的でやわらかく細やかなやり取りにし続けようという意志がずっと維持されていて、それも後半になって楽しさに満ちていく展開もたいへん楽しく、つまり適度な緊張感とリラックスとやるときはトコトンな気合の絶妙なバランス、互いを尊重する感じや、ソロ役とバッキング役の自覚の交換の感じなど、ちょっと紳士的過ぎで他人行儀に過ぎないかと感じさせる瞬間が、無くもなかったが、それも含めてのインタープレイであり、久々そんなノイズをたくさん浴びることができてたいへん満足した。

(ある意味そのように高度で知的に統制されたインプロヴィゼーションであるがゆえに、それはジャズであり、ジャズをはみだす音楽ではないのだろうし、それを喜ぶ自分は自分の音楽嗜好の保守的な部分でそれを喜んでいるのだろうけど、さらに言えばそのような自分の保守嗜好性をライブ配信という形式で打ち壊されるような経験が可能なのかどうかが、ライブ配信の面白さの可能性につながる話なのだろうし、だから何がやられて、自分は何を観ようとするかだろうけど。しかし保守的な自分にとって、やはり現場体験というのは強烈だ、という結論はつまらないとは思うが、現状ではそれがほぼ正解であると感じる部分も否めない。)