老爺、老婆が一人、あるいは夫婦で住んでいた一軒家が、いつの間にか忽然となくなってしまい、きれいな更地になって、その後まもなく、分譲住宅の売り出し開始になったり、マンションの建設計画がはじまったりする。あの爺さんも、あの婆さんも、どこかへ行ってしまったのだろうなあ、と思う。そんな家は、解体して更地になるまでが、とにかく早い。まるでこうなるのを誰かが待ちかねていたかのように早い。食事が終わったのを見るや否や、テーブルをさーっと片付けられてしまうような早さ。家というのは、人間にとって、やはり仮のものだなと思う。子や孫に引き継がれる、あるいは別の目的に利用される家ももちろんあるだろうけど、そんな家は少数で、大多数の家は住人が去ることで消えていく。こんなに素早く簡単に無くしてしまえるものならば、きっと家の記憶も歴史も何もない。あなたの思い出はあなたと共に消えてしまう。それでかまわないと考える人が多い。土地なんか持とうが持たなかろうが、生きてから死ぬまでの時間が賃貸みたいなものだから、それ以外の選択肢はない、それで誰にもどうしようもないとも言える。

うちの近所にも廃屋や空き家はある。ああいうのは、何かが滞っている、何かが手つかずになっているから、あのままにされているのだろう。でも、なぜかあれらの建物は、たとえば幽霊とか呪いのようなものがこの世にあるとして、しかし彼らにとって居心地が良さそうにはあまり見えない。なぜかそういう雰囲気をまとってないように見える。まったく無機的でこの場所と変わらない、ただの空き家でただの廃屋だ。ちなみに最寄り駅の駅前は、長年あった商業施設のビルが解体されたあとで、区と不動産屋が揉めた挙句そのまま何年も更地のままの状態が今も続いている。あんな駅前の広大な土地が、まったく利用されないまま何年も更地のままになってるというのは、ものすごい経済的損失ではあるだろうと思うし、けっこう長年の問題になってるみたいだけど、あの空き地には、じつは意外とたくさんの幽霊とか呪いが住み着いている可能性はある。ずっと何年も更地のまま、そんな場所に幽霊とか呪いの気配が漂いやすい、それが最近の傾向という気がする。