馬喰町、下北、神田


 夏の木々は、緑の濃さの、色やモノの重なる重みや匂いなどのすべて混ざり合った状態と、陰影をこわすほどの太陽の光の強烈さがすべてあって、頭上でそれらがはげしくざわざわとうごめいていて、それらは見ながら歩くのもほとんど難しいほどである。それはとにかく光が強すぎて、見上げても明滅状の出来事としかとらえられない感じだからである。

 馬喰横山駅で下車。ギャラリーαMの浅見貴子展に行く。作品を観ながら、いや、もしかすると観る前から、この夏の強烈な光に照らされた感じのことを思い、目の前のある絵画が、そこでやろうとしていることと、さっき見た植物と光との出来事がやろうとしていたことを、それぞれを考えている。

 作品を前にして、目に見える、墨の黒い大きな点が、その輪郭を縁取るように、薄っすらと墨と紙の境界線に、滲みのような柔らかい線が、ふっと浮かび上がっていて、それらが幾層も重なり合うことで、重なりが一緒くたに潰れることなく、それぞれ出来事の固有の時間が残り、時間の差があらわれ、ことなる出来事との間に、何かが流れたり滞留することのできる余地がうまれて、出来事の可能性が予感されはじめる。絵を観ていて、そういうのを目に見たときに、そこに空間を見たと思う。

 その絵画の方法によって、そこに空間を見て、それを見ながらも、自分は何をみているのかを考えていた。その出来事をたんなる満足におとしこんでしまうのではなく、さらにもっと、自分の記憶のさまざまな方向へ、深く広く根をはって広がっていかないものかと思っている。


 馬喰横山から明大前で乗り換えて下北沢へ移動。明大前の駅前もそうだが、下北沢もほんとうにごちゃごちゃしている。ごちゃごちゃとした街中を、たくさんの若い人々が歩き回っている。

 古本屋で本を見ていたら、すごい夕立が来て、まさに豪雨の、沸騰したお湯のような水飛沫がもうもうと湯気を立てて、しかししばらく待てば雨はごく小降りになって、どこもかしこも水浸しになって水を滴らせている中を再び歩いた。

 カクテル完全ガイドという本があったので買ってみた。色々なカクテルが載っている。

 駅で電車を待っていて、向かいのホームや階段の、あまりのせせこましい、小さな空間に立体的に積み重なった構造物の上や下を、人が行ったり来たりしているのを見て、これは外国人が見たら面白いと感じるだろうなあと、一瞬自分が外国人になったような感じに思った。あんな狭いところに、あんなに人がいっぱいいて、しかし彼らにとっては、それが普通のことで、皆でああして、次々と電車に乗ったり、降りて次々と出口に向かって、階段を上がっていく。電車で降りて、あの小さなところを歩いて、あの小さな階段を昇って、駅を出て、ごみごみした街中を歩いて、自分のアパートに帰って、その小さな部屋のベッドに寝るのだとしたら、それはまるで、ほとんどおとぎの国に住んでいるような、完全に現実離れした、小さなお芝居みたいな生活のようだと思った。ほんとうに、部屋のベッドも駅の階段も、ここでは地続きであって、どこであろうがホームみたいなものではないか。


 神田へと移動して食事。素晴らしき晩餐。飲んで満腹した。