2023-03-01から1ヶ月間の記事一覧

笑い声

駅の改札を出て、人でごったがえしているなかを抜けて通りへ出ようとしていた自分の前方に、大柄な、やや強面風のおじさんとその奥さんらしき女性が、遠くを見ながらしきりに手を振っていて、たぶん花見か何かの相手と待ち合わせでもしてるのだろうと思って…

イメージ

福尾匠「眼がスクリーンになるとき」を読んでいる。ベルクソン=ドゥルーズによれば、生物は作用/反作用を行うシステムで、かつその関係が不確定(不確定性の中心)である。そのことを観念論ではなく経験的事実すなわち存在論としてとらえるために、ベルクソ…

豪雨と桜

夜になって、夏の雨みたいに激しく降っていた。豪雨と言いたいような雨だった。桜の花びらが、湿った地面に、べったりと貼りついて、そのおびただしい数の、地面に斑点を積み重ねて、ピンク色がまだら状に広がっているのが、重たく水分を含んで、ある程度の…

Debut

来日中のビョークがライブをやっていたのか。いやビョークなんてもう何年も聴いてない。正直もはや、自分の関心外の音楽になってしまったけど、やはり3枚目までは、かなり熱心に聴いていた。1993年の1stアルバム「Debut」は池袋のWAVEで買ったような記憶があ…

二人

黒沢清「蜘蛛の瞳」では、根拠無しの宙吊り状態を手探りし続ける主人公の哀川翔を最後まで見届けるしかないのだが、それにしても彼を自分の世界に導いたダンカンの内面には、果して何が渦巻いていたのか。彼が哀川翔に何を期待し、何を託そうとしたのか、あ…

八重洲ブックセンター

営業終了直前の八重洲ブックセンターへ久しぶりに行った。思ったよりも客は少なく、人文系の上階は閑散としていた。すでに補充してない本棚にはところどころ隙間が空いていて、建物自体も古いし、やや薄暗さを感じさせるフロアの壁や天井その他も、年月を経…

オールド・ジョイ

ザ・シネマメンバースで、ケリー・ライカート「オールド・ジョイ」(2006年)を観る。冒頭の、不機嫌を絵に描いたような妊婦の奥さんの表情。不機嫌というよりも、日々を生きて、生活を成り立たせるために身を型枠に嵌めて、今後もひたすらそうしていく、それ…

さすらい

ザ・シネマメンバースで、ヴィム・ヴェンダース「さすらい」(1976年)を先週一時間観て、今日二時間、最後まで観終わった。しかしやはりこれは、三時間ぶっ通しで見るべきだろうと思った。これはしっかりと三時間かけて、体験する旅だろうと。 一気に観ると、…

室内灯

自動車にもう何年も乗ってないと思った。映画を観ていて、そんなことにふと気づかされるときがある。僕は運転免許は持ってはいるけど自動車は所有してないし、もはや運転もできないので、車に乗るとはもっぱら他人の車に乗せてもらうことなのだが、そういう…

写真の昔

写真は昔、カメラで撮影して、撮り切ったらカメラからフィルムを外して、それを写真屋に持っていき、数日後に完成した写真の束を受け取って、プリント代金を払った。90年代を過ぎると、写真屋にフィルムを預けてから受け取りまでの時間が大幅に短縮されたの…

夜、満開の桜を見上げるという行為を、ひさびさにした。桜なんて、べつに毎年咲くものだし、満開だからといって、さほどしげしげと見つめるわけではない昨今だが、今日は見た。そしてわざわざ鞄からメガネを取り出して、それをかけて、あらためて見上げた。 …

生物

何を知覚するとは、異なる階層、異なるレベル間における、感じ方のせめぎ合い、強さ、弱さ、本流、傍流、その相互干渉の結果のある一断面。それは常に刷新される。され続ける、そのような継続性のことを、生物と呼ぶ。生物は、異なる階層、異なるレベル間に…

蜘蛛の瞳

黒沢清「蜘蛛の瞳」 (1998年)を最初の30分くらいまで観る。ダンカンが経営する会社に入社した哀川翔は、デスクワークとしてひたすら書類に判子をつく仕事をしている。A4の紙の、上左右と下に合計三か所、機械のように一枚一枚、丁寧に捺印し続ける。 この映…

さすらい

ザ・シネマメンバースで、ヴィム・ヴェンダース「さすらい」(1976年)を、一時間くらいまで観る。 もともと何の関係もないし、関係をもつ理由もないし、その明確なきっかけもなかった、ただたまたま、その場で出会っただけの二人が、なぜかそのまま、行動を共…

実在化

自分がかつて子供であったというのは、つまり自分がかつて子供の身体に近しかったということでもある。だからもしかつてのように、自分が自分の中の何者かに問いただして、それとの折衝の結果、あの感触が返ってくるならば、自分は今でもまだ子供である。今…

DOOR III

黒沢清「DOOR III」(1996年)を観た。初見だったのだが、この作品の時点ですでに「CURE」(1997年)が、また「回路」(1999年)が萌芽しているというか、それらのプロトタイプのような作品に思えて驚いた。 あるヤバい状況におちいった主人公が、何とかがんばっ…

R&B 90

90年代R&Bを聴いていると、時間が巻き戻されてしまうかのようだ。Apple Musicのプレイリストに「ディヴァンテ・スウィング:プロデュース」をまとめたものがあって、これが個人的には当時の自室で地蔵のようになっていたかつての自分がありありと思い出され…

咲いてしまう

家の前の桜が、もう咲いてしまっていた。咲いてしまっているという言い方をしたくなる感じだ。留めようがなく、持ちこたえることができず、なすすべなく、手の施しようもなく、その過失の結果。という感じだ。冬が収縮・滞留で、その反動として春が解放・弛…

小五DJ

小学五年生のときだったと思うが、僕は放送委員会だったので、一日のうち何度か、放送室のブースに座って、全校に向けて、たとえば以下のようなアナウンスをマイクに向けて話した。 「これから、お昼の放送を始めます。まずはじめに、レコードをかけます。」…

映画の夢

ニューヨークから、飛行機でアムステルダム、自動車でヴッパータール、そして汽車でミュンヘンへ。いくつもの出来事と、人々の顔と言葉、景色。アリスの母親は、なぜあのような表情なのか。彼女は物怖じせず、大胆で、いい加減で、ちょっと母親失格かもしれ…

巡回

ユキヤナギが暖かい風に揺さぶられて、あたりに白いものを舞わせているのは、これは今の季節をわかりやすく説明してくれてるような、そんなショットの積み重ねと思う。まだ訪れたことのない駅に降り立って、知らない名前の商店街を歩いて、狭い階段を昇った…

アリス

ヴェンダース「都会のアリス」は、昨日の夜に前半一時間見て、今日後半を見た。前半だけで深い満足感があり、ただあらわれる場面を観ているだけでいいような気持ちになる。 アリス役のイェラ・ロットレンダーは、あまりにも表情がゆたかすぎて、演技の細かな…

都会のアリス

ザ・シネマメンバースで、ヴィム・ヴェンダース「都会のアリス」(1973年)を観る。ずいぶん昔に一度観ているはずだがほぼ記憶にない、と思って観始めたら、空に小さく飛行機が移動していて、路上の標識を示す冒頭の場面を見て、そのシーンをおぼえている、と…

かつて

初老の主人公が、かつて恋人だった女のもとを訪ねる。二人は何十年ぶりに再会する。女は泣きながら、なぜ今になって姿をあらわしたのかと、男にたずねる。確かめたいことがあったから、と男は答える。そのときドアがノックされ「母さん、入っていいかい」と…

土の味

居酒屋で出た、天ぷらのふきのとうの美味しさに、思わず感嘆の声が出る。この苦み。野菜ならたとえば、ある季節の牛蒡や芹にも感じられるような、土の深い香りと滋養を、そのまま摂取しているかのような感じ。同じ感覚で言えば、たとえば生牡蠣からもたらさ…

月島

土曜日は、アーティゾン美術館を出たあと、散歩がてら八丁堀方面に向かって、中央大橋をわたって月島へ入り勝どき駅まで歩いた。 月島は、まさにタワーマンションの世界、だった。これはこれで、あらたなベッドタウンの歴史の始まりなのかもしれないなと思っ…

リバー・オブ・グラス

ザ・シネマメンバースで、ケリー・ライカート「リバー・オブ・グラス」(1994年)を観る。 フロリダ州マイアミという地名から思い浮かべるイメージ、この景色がそれのようでもあり、そうでもないよう感じもする、何か白けているというか、間延びしてるというか…

石橋

アーティゾン美術館で「DUMB TYPE 2022: remap」を観る。もうこれ以上ないほど「国際美術展」的な感じで、これがダムタイプの新作なのか…と思う。 とはいえ暗闇のなか、立体的に組まれた音響装置から響く大小の声や音に包まれながら、等高線のうごめく地形図…

循環

軽い貧血、あるいは不整脈な予感、あるいは手足の痺れ、力が抜けていく感じ、内容が無くなる感じ、気温の上昇にともなって心疾患を感じさせる身体的な様々な兆候が思い浮かばれる、というようなことは、毎年かすかに思う。誰もの血管が、まるで植物の茎のよ…

北風

夜になって、厳しい寒さになった。冷たい風がすごい勢いで建物の間になだれ込んできて、人々のコートの裾や長い髪をばたばたと際限なくはためかせて、外から地下へと下るエスカレーターの先までその風は入り込んでくるので、左側に立っている人のコートや上…